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歴史 ブルネイをもっと知って旅に役立てよう!

近世以前のブルネイ

近世以前の様子や王国の起源については、正確には分かっていません。他の東南アジア諸国と同様、4~5世紀には都市国家として成立していたと思われますが、記録としては9世紀以降の中国にその名が取り上げられている程度です。

海洋帝国としての繁栄

ブルネイがはっきりと歴史に現れるのは、現在の王家の始祖、ムハンマド・シャーが即位した15世紀初頭です。ムハンマド・シャーは現代に続く国家の基礎を確立。この時代には国教をイスラム教に定め、これを周辺諸国へ布教することにより領土を拡大していきました。

16世紀初頭、マラッカがポルトガルの手に落ちたことから、東西海洋貿易の中継地としての重要性が強まります。香辛料などを積んだ船が数多く立ち寄り、ブルネイは経済力を蓄えていきました。第5代スルタン・ボルキア(1473~1521年)の時代には、現在のボルネオ島全体とフィリピンの南半分を従え、インドネシアの一部まで勢力下に置く海洋帝国として、大いに発展します。

1521年、この国を訪れたイタリア人ピガフェッタは、貿易で潤う帝都の水上集落(カンポン・アイル)を「東洋のベニス」と称え、「2万5千の家が繁栄を謳歌している」と旅行記で紹介しました。

イギリスよる領土の縮小

17世紀以降は、西欧列強による東南アジア植民地化の波が押し寄せました。

1839年、サラワクの首長が反乱を企て、スルタンはイギリス人冒険家ジェームズ・ブルックに鎮圧を依頼。ブルックは英国海峡植民地政庁の協力で鎮圧に成功します。彼は報酬として土地を割譲させ、サラワク王国を建国して王の称号を得ました。

これを契機ブルネイの領土はイギリスによって次第に削り取られていきます。18世紀末には、現在の領土とほぼ同じ広さにまで縮小してしいました。

そして、1888年、ブルネイは、わずかな領土を確保するため、英国の保護領となりました。

第二次世界大戦~独立まで

この強大な英国の力が失われるのは、第二次世界大戦時中のことです。日本軍は、東南アジアを植民地化していた西欧勢力を撃退し、戦時統治を始めます。これよりブルネイは軍港としても機能し、軍の艦隊が停泊したこともありました。しかし、1945年の敗戦により日本の統治は終わりを迎え、ブルネイは再びイギリスの統治下に置かれました。

1961年、マレーシア連邦構想が発表されますが、ブルネイは石油の利権とスルタンの権限をめぐってマレーシアへの統合を拒否。イギリス保護国のまま残留します。

その後、植民地化政策に反対する世論が高まり、1984年に主権を回復、独立を勝ち取りました。