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歴史 カンボジアをもっと知って旅に役立てよう!

カンボジア国家の起源とアンコール朝

前1世紀から、現在のカンボジア南部からベトナム南部の地域にかけて王国が築かれ、3世紀頃にはインドや中国など外国文化が流入し商業国家として繁栄しました。

6世紀に入るとカンボジア国家の起源とされる真臘が成立し、インド文化の影響を受けサンスクリット文字やクメール文字が使われ始めました。その後、一時ジャワ王国の支配下に入りましたが、真臘の流れを受け継いだアンコール朝が誕生し、アンコール遺跡を始めとする一連のクメール遺跡などが建設されました。

フランスの植民地化と独立

19世紀中頃に、フランスによるインドシナ半島の植民地化が始まりました。そこで、国王はフランスと交渉し保護国としての植民地化を認めました。

しかし、1945年頃からノロドク・シハヌーク王が独立運動を始めました。その後、憲法の公布や警察権や軍事権などの回復を成功させ、完全なる独立を果たしました。

ベトナム戦争とポルポト政権

ところが、1959年から始まったベトナム戦争の影響を受け、国内が不安定な状態になっていた頃にアメリカと南北ベトナムが介入して長い内戦状態に入りました。

1975年にはクメール・ルージュと呼ばれた極端な共和主義をかかげる独裁者ポルポト政権が成立し、国民の飢餓や虐殺が行われたために大勢の死者が出ました。

内戦の終結とカンボジア王国樹立

その後、ベトナム軍によりポルポト政権は崩壊し、1990年に「カンボジアに関する東京会議」が開催されました。翌年にはカンボジア和平パリ協定が開催され、最終合意文章といわれるカンボジア難民の帰還や武装解除と内戦の終結を目的とした文章に19ヶ国が調印しました。これにより、約20年に及ぶカンボジア内戦が終結しました。

それから、1993年に新憲法の発布があり、約23年ぶりの統一政権としてカンボジア王国が樹立され、シハヌーク王が再即位しました。その後、東南アジア諸国連合(ASEAN)への加盟を果たし、2004年にはシハヌークの息子であるノロドム・シハモニが国王に即位しました。